坊っちゃん
(C)1977 松竹
明治三十九年。ご存知坊っちゃんこと近藤大助は、東京の物理学校を卒業、中学の数学の教師として勇んで四国の松山にやって来た。幼い頃から、無鉄砲で負けず嫌いの大助だったが、ばあやの清だけが「坊っちゃんはまっすぐで気性の良い方だ」とかわいがった。大助は四国に、その清と別れて来たのが少々気がかりだった。愛媛県立松山中学校。ここが大助を待ちうける学校だ。この学校の校長は狸の様な顔をしているので狸、教頭は赤シャツの見るからにキザな奴なので赤シャツ、教頭のたいこ持ちのような吉川は野ダイコと大助はアダ名をつけたがそれぞれひとくせもふたくせもある奴らであった。